自己紹介

【名前】しょう

【生年月日】1997年3月3日

【出身】大阪

【趣味】漫画

【性格】飽き性

【好きなスポーツ】野球、ソフトボール、バスケ

【好きな食べ物】お寿司、味噌汁、納豆

小学校時代

ほとんど野球の事ばかり考えていて野球ばかりしていた。

勉強は苦手で学校の授業はつまらなかったのは今でも覚えている。

しかし、社会だけは得意で歴史の本や漫画や教科書などを全て読み全部頭の中に詰め込んだ。

中学時代

部活が野球部だったのでほとんど野球に明け暮れていた。最後の夏の大会では大阪ベスト16まで進出した。

高校受験では野球部の人数が少なて、なおかつ自分の学力で行ける高校に進学した。

なぜ野球の少ない高校に選んだのかと言うと、中学の時はずっとベンチで試合にでれない事が多かったので高校ではより多くの試合にでたいと思い高校お選んだ。

今、考えれば甘い考えだとわかるが当時はとりあえず試合にでたいと言う思いが強く、試合にでれる確率の道を選んだ。

この判断が高校生活にも影響してくる。

高校時代

高校に進学して、野球部に入部したのはいいが、人数がギリギリで何とか夏の大会に出場した。

夏の大会の開会式は京セラドームだった。あそこで入場行進したのは高校生活の唯一の思い出として記憶に残っている。

そこからは自分以外の部員は全て辞め半年間は一人で野球部で活動して、2年生の新入生が入ってきた時も自分がキャプテンと言う立場になりチームをまとめる事や日々の練習について考えていたが実力はなかった。

部員が全て辞め、また一人での野球部が始まり、一人でグラウンド整地したり一人で練習したりして何の為に野球しているかこの時すごく悩んでいた事をすごく覚えている。

そこから3年生になり、高校での野球部の活動はこの時に諦めた。

監督も上手くいかず、野球がしたいのに野球ができないのが自分の中でモヤモヤしてたのでこの状況をどうにか変えるべく、ネットで社会人野球を見つけその社会人野球に専念した。

それからはアルバイトは初め、アルバイトと社会人野球をする生活となってた。

高校での学生生活も何も楽しい思い出はなく、野球と3年生から始めたアルバイトをずっと夢中になっていた。

高校生活は正直苦痛でしかなかったが、環境のせいにせず自分で行動して何かを変えないとだめだとわかり結果的に今の自分がいるのであまり後悔はないと実感した。

大学時代

大学に入学してからは野球、部活のソフトボール部、アルバイトを毎日繰り返し夏休み前まで過ごしていた。

性格上毎日同じ事をやるのが苦痛に感じる事も数多くあり、けれども好きな事なら続けてきました。

大学では色んな事にチャレンジした。

色々経験したいと思ったのでずっとしてきた野球も辞めとりあえずやりたい事はほとんどやった。

1回生の時は、学生団体中心の生活で1日1日が自分の中で新鮮ですごく充実した大学生活を送っていた。

2回生になってからはまた違う学生団体したり、ヒッチハイク、クラブイベント、バックパッカー、自分でイベントしたりなど常に新しい事にチャレンジしていた。

3回生になってからは周りが就活を進めていく中で自分もインターンなどに参加していて、ここで何で就活はこの時期に初めるのかが疑問に感じた。

元々人に合わすのが苦手でどうにか自分の軸を固めたいと思い、自己啓発の合宿に参加しました。

そこでの合宿も1回目では、自分が目標に向かってこのまま突き進める自身がついた。

それと同時にこの自己啓発の合宿に参加する前には全て取り組んでいた事を全て辞めここに集中してやってきたが結果的に人に迷惑をかけてしまい、申し訳ない気持ちがでてきてモヤモヤしていた。

何とか2回目の自己啓発の合宿も参加して、このままやり切る気持ちで最初は意気込んでいたが途中で精神的に色々と疲れて全てを放り出して逃げ出しました。

そこからはこのまま就活を進めていくかで悩んだすえ大学休学を決断。

大学を1年間休学している間は田舎フリーランス養成講座に参加したり、フィリピンに留学とインターンに行ったりしてこれからどうするか考えてました。

現在

通信大学を卒業して、病院での介護職1年間やったが退職した。

今後の人生を考えた時にこのまま何も考えずに仕事に取り組んでいたら人生楽しくないと思い何かやらないとモヤモヤした気持ちがある。

正直何がしたいかがわからないが、人生はチャレンジすべきであるべきだと思う。

ABOUTこの記事をかいた人

大学休学→通信大学編入→通信制卒業→介護職1年退職→転職活動中 大学在学時代は人見知りを治すため、イベント企画の運営など、ヒッチハイク100回したりしました。大学2年生の時にソフトボール部で全国大会出場。